体育の時間、子どもたちを集めるために大きな声を出す。
教室では、ときに大きな声で叱る。
そんな日のあとは、決まって声がかすれた。
ひどいときは、その後ほとんどしゃべれなくなる。
それでも次の日になれば、また授業がある。
教師にとって、声は商売道具だ。
ところが僕は、その商売道具を守る方法を、ほとんど知らなかった。
声帯ポリープが見つかった
喉の違和感が続き、病院で診てもらうことにした。
診断は、声帯ポリープ。
いくつかの病院で診てもらったが、見立てはほぼ同じだった。
薬で治すのは難しい。治すなら、切除手術になる。
そう聞くと、やっぱり少し怖い。
ちょうど30代後半で、もうすぐ厄年に入る頃だった。
「やるなら、さっさと取ってしまった方がいいんかな。」
そんな気持ちもあった。
一方で、無理に手術をする必要はないとも言われた。
少し安心したものの、どうするかは迷った。
最終的に大学病院で診てもらい、すぐに手術はせず、しばらく様子を見ることになった。
大きな声をなるべく出さない。
それを意識しながら、半年ほど過ごしてみることになった。
大声を出せないなら、どうするか
大きな声を控えるといっても、教師は毎日声を使う。
授業をする。
指示を出す。
子どもを集める。
ときには、注意もする。
これまでは、教室ががやがやしていても、大きな声を出せば一度で止められた。
でも、その方法は使いたくない。
そこで考えるようになった。
どうすれば、大きな声を出さずに話を聞いてもらえるのか。
たどり着いたのは、とても単純なことだった。
声を大きくする前に、子どもたちが聞ける状態をつくる。
がやがやしている教室に、さらに大きな声を重ねるのではない。
まず、がやがやさせない。
こちらに意識を向ける。
聞ける状態になってから話す。
言葉を届けるために必要なのは、最大ボリュームではなかった。
声の大きさではなく、強弱を使う
大きな声を出さないようにすると、声の強弱を意識するようになった。
大事なことだからといって、いつも声を張る必要はない。
むしろ、声を少し小さくした方が、子どもたちが「何を言うんやろ」と聞こうとすることもある。
もちろん、小さな声でぼそぼそ話せばよい、ということではない。
必要なのは、聞こえる声と、聞こうと思える空気だ。
声を大きくする代わりに、
「今、子どもたちは聞ける状態か。」
と考えるようになった。
指示を出すタイミングも、言葉の数も意識する。
大きな声で押し切れなくなったからこそ、自分の伝え方を見直すようになった。

声を小さくしたら、指導まで変わった
大きな声には、即効性がある。
一喝すれば、その場は静かになる。
でも、それを何度も続けていたら、僕の喉はもたない。
大きな声に頼れなくなってからは、子どもたちが聞いていない理由を考えるようになった。
まだ活動が終わっていないのか。
話し始めるタイミングが早いのか。
指示が長すぎるのか。
そもそも、こちらを見ること自体が伝わっていないのか。
「静かにしなさい」と声を大きくする前に、自分の指導を見直す。
そうしているうちに、大きな声で叱ったり、指示を通したりすることは、かなり減っていった。
声を小さくすることは、指導を弱くすることではない。
子どもたちが聞ける状態をつくり、必要な言葉を届ける。
その方が、指導はむしろ伝わりやすくなった。
「ほとんど消えていますよ」
半年後にもう一度診てもらう予定だったが、うまく日程が合わず、再び大学病院へ行ったのは一年ほどたってからだった。
喉を診てもらうと、先生から言われた。
「あれ、ほとんど消えていますよ。」
手術を覚悟していた時期もあったので、これは本当にうれしかった。
結局、手術はせず、そのまま様子を見ている。
一度できたものなので、また症状が出る可能性はある。何かあれば診てもらえるよう、病院とのつながりも残している。

声は、指導そのものだった
声帯ポリープが見つかったことは、もちろん困った出来事だった。
でも、それをきっかけに、自分の指導を見直すことができた。
大きな声を出せることと、指導が通ることは同じではない。
声を張り上げなくても、子どもたちに言葉は届く。
そのためには、声を大きくするより先に、聞ける状態をつくらなければならない。
教師にとって、声は商売道具だ。
そして、声の使い方は、そのまま指導の仕方でもある。
喉を守ろうとして声を小さくしたら、僕の指導まで変わった。


