先生だって、夏休み。

夏休みに自宅で家族と過ごす小学校教師 先生の日常

「あんた休みやろうし、子どもよろしく。」

夏休みに入ると、妻からそんなことを言われる。

少し笑い話のようなものだ。子どもたちが夏休みなら、先生もそのまま休みになると思われやすい。もちろん、実際にはそうではない。子どもが登校しない日も、教師にとっては基本的に勤務日である。

それでも、普段に比べれば、時間の流れはずいぶんゆっくりになる。

だから今の僕は、教師の夏休みを、研修をたくさん受けたり、仕事を先々まで進めたりする時間というよりも、家族と過ごし、自分の好きなことを取り戻す時間にしたいと思っている。

以前は、お盆以外ほとんど学校にいた

若い頃の夏休みは、今とはずいぶん違っていた。

7月は水泳指導や大会の引率があり、それが終わると研修が続いた。教科の研修、人権に関する研修、特別活動の研修。自分から「これに行きたい」と選ぶよりも、「これは行ってきてね」と言われて参加するものが多かったように思う。

それが普通だと思っていたので、お盆休み以外は、ほとんど学校に出ていた。

【夏休みも学校へ通っていた若い頃】

ただ、それがすべて嫌だったわけではない。

もともと水泳は好きだったので、夏のプールで子どもたちに会うことは、それほど苦ではなかった。研修でも、ICTや企業の人から新しい技術を教えてもらえるものには、自分から参加したいと思うこともあった。

振り返ってみると、今も覚えている研修は数えるほどしかない。

楽しかったもの。自分で試してみたもの。あるいは、自分の専門とは少し離れていて、「そんな考え方があるのか」と驚いたもの。結局、そういう研修だけが残っている。

研修については、また別の記事でゆっくり考えてみたい。

夏だからできることを、家族とする

今は、夏休みに入ったら、なるべく子どもたちと一緒にできることをしたいと思う。

泳ぎに行く。山へ行く。大きな遊具のある公園へ出かける。実家に帰って、いつもよりゆっくり過ごす。

毎日、特別な場所へ連れて行かなければならないわけではない。家で子どもたちを見ながら、庭で棚を作ったり、少し使いにくかった場所を直したりするのも好きだ。子どもたちが近くにいて、僕は僕でDIYをしている。そんな一日も悪くない。

【庭でDIYで棚を作ってみる】

趣味に小さな目標をつくるのもいい。

ゴルフが好きなら、この夏に少しだけレベルを上げる。ゲームが好きなら、長く止まっていた一本を最後までやってみる。夏が終わったときに、「今年はこれをやったな」と思えるものが一つあれば、それで十分だと思う。

生活のリズムは少し遅くなりがちだけれど、できれば朝はいつもの時間に起きる。そうすると、夏の一日をずいぶん長く使える。

「学校のことは忘れていい」と伝えてきた

僕は、夏休み前の懇談会などで、子どもたちや保護者にこんな話をしてきた。

「せっかくの長い夏休みです。学校のことはいったん忘れて、夏にしかできない経験を思いきりしてください。」

学期中、子どもたちは一日の長い時間を先生や友達と過ごしている。それが夏休みになると、40日ほど、家族と過ごせる時間が生まれる。

何か大きな旅行をしなければならないわけではない。泳ぎに行くのでも、近くの公園へ行くのでも、一緒に料理をするのでもいい。家族で「今年の夏はこれをしたね」と言えるものがあれば、それは学校ではつくれない時間になる。

そう話してきたのだから、教師である自分も、夏休みくらいは学校のことから少し離れていいのだと思う。

もちろん、仕事をまったくしないわけではない。

普段は落ち着いて話せない評価のことを学年で考えたり、子どもたちの記録を見直したり、次の学期の準備をしたりする。余裕のある夏だからこそできる仕事もある。

ただ、空いている時間をすべて仕事で埋めなくてもいい。

家にいても、つい先生になってしまう

家族と長く過ごしていると、別のことにも気づく。

教師は、いつもいくつものことを同時に考えている。

これをしながら、次はあれをする。ついでに、あそこも片づけておく。今のうちに、これも伝えておこう。

学校では必要な力なのだと思う。けれど、そのまま家へ持ち帰ると、一緒に暮らしている家族にとっては少ししんどいのかもしれない。

子どもに何か意見を伝えるときも、僕はつい、

「先生もよく……」

と、先生を主語にして話してしまうことがある。

すると子どもから、笑いながら言われる。

「学校ちゃうし。」

確かに、その通りだ。

家で子どもが聞きたいのは、「先生ならどう考えるか」ではなく、「お父さんはどう思うか」なのかもしれない。

笑いながら言ってもらえるときは、まだ気づきやすい。難しいのは、細かなところまで口を出してしまっても、家族が何も言わないときだ。後から一人で振り返って、「あれは少し、事細かく言いすぎたな」と思うことがある。

教師を長く続けていると、先生という役割は、思っている以上に自分の中へ入り込んでいる。

夏休みは、先生を少し休む時間

この夏、少し試してみたいことがある。

家で意見を伝えるときは、「先生は」ではなく、「お父さんは」で話し始める。一度にいくつも言わず、伝えるのは一つにする。そして、今、本当に言う必要があることなのかを少しだけ考える。

教師の夏休みは、何もしない時間ではない。

普段できない仕事をする時間でもあり、家族と過ごす時間でもあり、自分の好きなことに戻る時間でもある。

そして僕にとっては、先生を少し休んで、父親や一人の人間に戻る時間なのかもしれない。

新しい研修を一つ受けることも、もちろん学びになる。

でも、子どもと泳いだこと。庭で棚を一つ作ったこと。いつもよりゆっくり話したこと。そういう時間が、次の学期の自分をつくることもある。

今年の夏も、そんなふうに過ごしてみたいと思う。

この記事を書いた人
ラボ主

小学校教員、約20年。妻と、中学生・小学生の子どもと暮らしています。理科・体育を中心に、毎年のように研究授業にも取り組んでいます。
聞いて、見て、やってみる。ダメなら、またやり直す。そんなことを繰り返しながら、今日も教室であれこれ実験中です。

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